2008年08月20日
読書
先日、ある方が部下の方々を連れてきました。
定期的に社内で推薦本を出しているという話題になりました。
ベスパでも媚山マスターからのお薦めが月イチであるのですが、いいことだなと感心しました。
その中で、その某有名企業の専務さんが薦めた本のタイトルを聞き、早速読んでみました。
それが、かなり面白い!
「17歳のための 世界と日本の見方」 松岡正剛 著

17歳のための・・・・、うぅ
‘‘大人は読んではいけません”とまである。
しかし、内容は大学の講義をまとめたものでした。
世界や日本の歴史を少し変わった方向から見てる内容が実に興味深いものでした。
読み終わり、「日本のことをもっと知らなきゃ!」と感じました。
同時に日本人として誇りも感じました。
京都の大徳寺・竜安寺の石庭は私も大好きで何度も訪れてますが、なぜあのような「枯山水」というものが作られたのかをやっと知りました。
また、パスカルの「人間は考える葦である」の意味もはじめて知りました。(お恥ずかしい)
因みに、子供の頃「人間は考える‘‘足”である」のかと思ってました。・・・訳解らんです。
「人間は弱い一本の葦にすぎない」のですね。
ものの考え方が少し変わったような気がします。
紹介して頂いた、村田さん、ありがとうございました。
(KANKI)
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2008年08月12日
エントレインメント現象
先日、あるビジネス書の中にあった。
ビジネスの世界で「エントレインメント現象」(周囲の人をそれに乗せること)があるという。
まず、リーダーが職場で‘‘気流’’になりになり、‘‘つむじ風’’になれば、組織は変わるというものだ。
この気流を起こすには3つの‘E’が必要。
①仕事を面白くする(Entertainment エンターテイメント)
②職場を明るく楽しくする(Enjoyment エンジョイメント)
③一人ひとりに仕事の意義を感じさせ興奮させる(Exitement エキサイトメント)
この3つのリーダーシップを発揮することで、新しい気流が起こる。
そのためにリーダーに必要なことは、はつらつとした生命力をもつことである。
以上とありました。
店づくりにも同様のことが感じられます。
修行という意識は非常に重要であるが、店長としての我々はこの「3つのE」を大事にし、仕向けていくことが必要であると思いました。
しかし、いつもふざけ過ぎ・遊び過ぎの私は態度を改めないといけないと思う、今日この頃。。。。
(KANKI)
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2008年08月06日
弱点の克服
先日、日米通算3000本安打を達成したイチロー選手。
私は野球ファンではないが、彼は大好きである。
以前、「イチロー思考」という本を読んだのだが、また改めて読み返した。
中にこうあった。
シアトルにて、13年目30歳にして日米通算2000本安打を記録したときの感想を聞かれて、
「ここまでヒットを重ねるには、それよりはるかに多い凡打を重ねなくてはいけない。
やっぱり思うことは2000という表に出る数字じゃなくて、それ以上にはるかに多い数の悔しさを味わってきたことのほうが僕にとっては重い気がします」
解説にこうある。
「失敗」と定義した仕事の中に飛躍のヒントが転がっている。
思い通りにいかなかった行動に照準を当ててその原因を探ってみよう。
そういう思考パターンを持って仕事に取り組むことができれば、着実に成長することができる。
以上を読んで、私が思ったことは、我々バーテンダーの仕事について。
カクテルの技術に対することを後輩たちにも伝えてきた。
「苦手を克服せよ!」
マティーニは自信があっても、マンハッタンは自信がない。
であれば、馬鹿になる位練習すること。
また、知識に関しても同じく。
ラム酒について知識が浅いのであれば、それを集中して勉強せよ!
「弱点を克服すること」がプロへの近道であると、私は思います。
店の営業についてもしかり。
うちの店の弱点は何か?・・・しっかり客観視する。→それを克服することの努力。
良い店づくりへの近道ではないでしょうか?
各店長はその意識を持つことが必要だと思います。
必ず、いい時も悪い時もある。
いい時は驕らず、悪いときにチャンスと考え、それを克服するアイディアを生み出せるよう努力したいものです。
(KANKI)
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2008年04月22日
メモ帳
先日、あるメモ帳を見つけた。
心に残る言葉、印象的な新聞記事、読んだ本の抜粋等、そこには色々と書かれてあった。
その中にこんな詩が・・・、
若い時は苦しいことも多いけど、辛いことも多いけど、
苦しいという字をじっと見てごらん、
若いという字に見えるから。
辛いという字をじっと見てごらん、
幸せという字に見えるから。
あと一歩、あと一画、頑張ってごらん、
きっと道は開けるから。
日付は99年8月28日とありました。
今、改めて読むと良い詩だなと思いますが、その当時の私は何を考えていたのでしょう?
よっぽど辛かったのかな?(笑)
他にもこんなメモが・・・、
100年後を考える人間は阿呆と呼ばれ、
50年後を考える人間は馬鹿と呼ばれ、
10年後を考える人間は天才と呼ばれ、
今を考えるのはただの人。
何でこんなこと書いてるのか、自身でもよく解らない・・・。
とりあえず面白いので、ゆっくり読み返してみようと思っています。
(KANKI)
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2008年03月26日
座右の銘
みなさんは座右の銘をお持ちでしょうか?
先日、あるお客様との対話の中で出てきました。
その方の言葉は、
「どんな時でも、口笛を吹いていこうぜ!」
だそうです。
ウィンストン・チャーチルの言葉だとのこと。
沢山の名言を残したチャーチルですが、ちょっと調べてみました。
やはりポジティブなものが多いですね。
A pessimist sees the difficulty in every opportunity ;
an optimist sees the opportunity in every difficulty .
「悲観主義者はすべての好機の中に困難を見つけるが、
楽観主義者はすべての困難の中に好機を見いだす」
Success consists of going from failure to failure without loss of enthusiasm .
「成功とは、意欲を失わずに失敗に次ぐ失敗を繰り返すことである」
マティーニについての話も有名ですが、私が記憶している話はこうです。
「究極のドライ・マティーニとは、ジンをストレートで飲みながら、耳元で執事にベルモットと囁かせる」
とか、
「ベルモットを眺めながら、ジンをストレートで・・・・」 等等。
昨年、NHKで放映されたカクテルの番組では、面白い表現をしてました。
ベルモットの原産国はフランスとイタリアが主であり、ジンはロンドンドライジンが主流です。
それを踏まえ、こうありました。
「敵国イタリアのベルモットを睨みつけながら、ジンをストレートで飲む」
興味深い表現です。
話が逸れましたが、時代に名を残した人はやはり凄いと感じました。
以前もブログに書きましたが、私の座右の銘は、
Know yourself 「己を知れ」 です。
(KANKI)
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2008年02月09日
老子
「河や海が数知れぬ渓流のそそぐところとなるのは、身を低きに置くからである。
そのゆえに、河や海はもろもろの渓流に君臨することができる。
同様に、賢者は、人の上に立たんと欲すれば、人の下に身を置き、人の前に立たんと欲すれば、人のうしろに身を置く。
かくして、賢者は人の上に立てども、人はその重みを感じることなく、人の前に立てども、人の心は傷つくことがない。」
先日読んだ本の中に紹介されていた、老子の言葉です。
二千五百年前に残したこの言葉に、私は共感させられました。
スタッフ間でも、お客様との間でも、すべての人間関係に取り入れるべき大事なスタンスだと思います。
実践できるよう努めたいものです。
(KANKI)
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2007年11月17日
油断
先日マスターからいただいたFAXを拝借・・・
「油断」
「油断はけがのもと」とよく言われるが「油断」の語源は仏典に見られる。
涅槃経によれば、”王が臣下に油を入れた鉢を持たせ、人の多い通りを
歩かせた。
もし油を一滴でもこぼせば命を断ずると命令。
臣下は周囲に目もくれず、王の命令を全うした。
ここから一瞬の心の緩みを”油断”と呼ぶようになった。
一刀流の開祖とされる伊藤一刀斎と弟子小野二郎右衛門が全国を
武者修行していたときのこと。
弟子が「剣道の極意」を尋ねると、師匠は
「別に極意というほどのものはない。ただ油断しないことが第一だ」と。
弟子に少しの油断があると、師匠は容赦なく「ぽかりぽかり」と
殴りつけたという。
実践で油断への戒めを体に刻み付けさせた。
事故や災害の原因の大半が人災と。その根源には心のゆるみや
甘え、慣れからくる油断、慢心などがある。
勝負の世界でも勝ったときに敗北の因をつくり、負けたときに
勝利の因をつくると言われる。
これは人生にも当てはまる。人間の心は微妙であるが故に
日ごろからの鍛錬が不可欠だ。
*油断・・・気を緩めること。注意をおこたること。
*慢心・・・自慢していい気になること。おごり高ぶること。また、その心。
これは福岡店の森口が剣道をしている事からの派生の話。
油断、慢心することのないよう、日々精進していきたいものです。
(IKEDA)
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2006年06月28日
うつ病とストレス
バーテンダーとは「夢も希望も失った人間が最後の話し相手として選ぶ人」とある。
あるビルの一室でうつ病患者のセミナーが行われていた。
そのセミナーで今日の気分と課題と達成という第一声が上がっていた。
そんな中ある男性から、今日の気分は、うつ指数5% 睡眠満足度90% 体調指数90% です。
という報告があり、その後つづけて休まないということを目標に掲げていましたが7月25日に休んでしまいましたという話があった。
それに対して、セミナーの主催者側からはうつになったというのはマイナスのイメージはない。
うつになったのはいいチャンスである。
それは人生や生き方を考えるためのいい機会ではないだろうかという話があっていた。
今や社会的な問題であり企業にあっては深刻な問題と同時に避けてはとおることのできない
問題にまで波及しようとしている。
それに伴い企業においては社員のストレスを放置しておけば労働力の低下をまねき、
ひいては業績の低下につながる。
そういう状況の中、実は企業にとっても深刻な問題になっている。
体がだるく、微熱がつづいたり、下痢になったり、腰痛で整形外科に行ったりしていた。
でも原因がわからない。
それで心療内科で診てもらったら軽症のうつ病という診断がでました。
「ショック」だった。? 何で僕が!
そこで休みなさいと言われるが、休むという事がどういうことかわからない。
気分や気持ちを休めるという意味がわからない。それで仕事に行けなくなる。
でも、それがまたストレスになると、うつ病体験者は語ってくれた。
うつ病は気分が落ち込み集中力や判断力が低下して仕事に影響を及ぼし支障をきたすようになる。
うつ病は誰でも起こりうる病気です。とは心療内科医のことば!
どんな人がなりやすいのか、世の中の価値観に合わせて一生懸命に取り組んでいくタイプの人。
そういう人は世の中の価値観自体が揺らいでくると何に頼っていいのか分からなくなる。
そうするとそれがうつ病に結びつきやすい。
そんなうつ病になり仕事に支障をきたした人が職場復帰を願い行われているセミナーがある。
BACK TO WORK キャリアサポートセミナーの職場復帰リハビリプログラムであり、
MDA-JAPAN(うつ病;気分障害協会)が主催している。
このセミナーに参加した人はうつ病を治すという考えよりもうつ病と上手に付き合って
いこうという考えに変わっていく。
元の自分に戻るのではなく新しい自分を見出しどれだけ活かしていくかに気付く。
しかし、重症になり自殺をしてしまう人は後をたたない。
そんな中、中小企業の経営者の自殺者は年間4000人を超している。
自殺動機で一番多いのが経済上の問題 61% 二番目が健康上の問題 21%
実にこの二つで八割以上をしめている。
特に経済上の問題で多いのが借金苦。
自分でこじれさせないかぎり、どんな借金であっても解決できるとおっしゃているのが
神田で借金コンサルタントという会社をされている代表です。
そしてどんな人でもそんなものの為に自分の人生がめちゃくちゃになると思わない
でほしいと言われました。
そこで、神田、借金コンサルタント代表が語る再生へのプログラム
(1) 利益率の高い商売もしくは分野にしぼる。
(2) 取引先に対して支払い条件などで協力を求める。
(3) 借金の相手に対して減額交渉をして返済計画の見直しや組み直しをする。
プロフェッショナルバーテンダーに求められているもう一つの使命がセラピストとしての
分野ではないだろうか!
その観点から、今からのプロフェッショナルバーテンダーは最高の常識人であり
「夢も希望も失った人間が最後の話し相手として選ぶ人」
にふさわしい姿であるべきではないか。
(KOBIYAMA)
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2006年06月25日
バーテンダーとは・・・
ある文献に以下のような表記がある。
Bartender(バーテンダー)
英語で、バーの主人、または支配人のことを指す。
アメリカの統計によると
「夢も希望も失った人間が最後に話し相手として選ぶ人」
とある。ゆえに、ただカッコよくシェーカーを振れるひと、の意ではなかろう。
ちなみにバーテンダーが登場する短編「失われた混合酒」(O・ヘンリー著)は、
酒の出てくる小説の傑作として折り紙つき。
仕事に対する誇り・責務を感じながら、日々を過ごしていきたいものです。
(KANKI)
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2006年06月19日
「ストレス」とは何か!
「ストレス」とは何か!
この問題は人類の起源と進化を考えずして理解することはできない。
私たちの祖先が複雑な会話を始めたのは約20万年前と考えられる。その頃はネアンデルタール人が大半を占めていたが、その約5万年前に枝分かれをしているのです。
その枝分かれした人類がクロマニヨン人です。このクロマニヨン人は私たちの直接な祖先でネアンデルタール人を尻目にどんどん会話を発達させていったのです。
そして、3万年前クロマニヨン人がさらに優位に立つ出来事が起こりました。それはクロマニヨン人の平均寿命が急激に伸びたということです。
20代後半だった平均寿命が30代を超えるようになったのです。それは人類が親と子供を加えた二世代から、祖父母の代を加えた三世代に変化していったことを意味しました。つまり、子育てを終えたおじいちゃん、おばあちゃんの世代が存在し始めたのです。これは非常に大きな意味を持っていました。祖父母の世代の登場によって脳は新たな可能性をつかんだのです。それは子育てのことや生で食べるとおなかをこわす植物も火を通せば毒がなくなることなど生きる知恵を世代を超えて受け継ぐことができ「失敗の繰り返し」を避けることができるようになったのです。
高齢者の出現で二つのことがわかりました。ひとつは技術や文化を次の世代に伝えられたこと、もうひとつは身を守るサバイバル術を教えたこと。これによって長生きができ子供の数が増え全体の人口も増えていったのです。
知識を途切れさせず、次の世代に伝えることによって、人類は人口を増やし発展していったと考えられます。
情報を次の世代に伝えること、それは文化の獲得をも意味していました。人類はさらに脳の中にある情報を外へ持ち出し世代を超えて伝える。つまり、世に言う「おばあちゃんの知恵袋」とは脳が外部メモリーを持ち始めたということでもあった。そして、この時期、人類の脳は現在の大きさにまで発達しました。脳は完成したのです。
そして、私たちの脳は進化の過程で成長を続けてきましたが、5万年前に大きくなることをやめました。なぜだと思いますか?それは、言葉を獲得したからです。
世代を超えた知恵を言葉によって共有することができる。そうやって脳が他の脳と情報でつながり知識を交換できるようになった時、脳は大きくなることをやめたので。
そして、人類はこんな言葉を残しました。
複雑な会話、そして、祖父母の世代の獲得、クロマニヨン人はネアンデルタール人に対して、つぎつぎに優位に立っていきました。
そして、その次に獲得したのがビジュアルメモリーと呼ばれる能力。これが勝負を決定的なものにしました。
我々の祖先、クロマニヨン人がこの能力を手に入れた時、ネアンデルタール人はこの地球上から静かに姿を消したのです。
それから、言葉を獲得した人類がついに手に入れたものは絵を書くという能力だったのです。
絵を書けるっということ、それはコミュニケーションの能力が飛躍的に増大したことを意味しています。この記号や絵を書ける能力はビジュアルメモリーと呼ばれています。ビジュアルメモリー、それは頭の中にある抽象的な概念や言葉にできない複雑な考えを絵などを使い、的確に相手に伝えることのできる能力。そして、クロマニヨン人とネアンデルタール人の運命を決定的に分け隔てのもビジュアルメモリーでした。ビジュアルメモリーこそが繁栄への鍵だったのです。ビジュアルメモリーにより、地図を生み出したことにより、我々、人類の祖先、クロマニヨン人は遠くに離れた土地の人々とも交易ができるようになり、ちゃくちゃくと文化を築いていきました。そして、クロマニヨン人は実にさまざまな装飾品などを生み出したのです。
クロマニヨン人と同じ能力、同じ脳の大きさを獲得したにもかかわらず、複雑な言葉や地図を持たなかったネアンデルタール人は新たな進化の段階に進むことができなかったのです。
我々の代わりにこの地球を支配していたのかもしれない、ネアンデルタール人は静かに地上から姿を消していったのです。
そして、人類の獲得したビジュアルメモリーは驚くべき発達を始めたのです。
ビジュアルメモリーを獲得した人類は言葉を文字に置き換えるという、さらなる画期的な発明をしました。
人類は言葉で特定の相手に伝えるだけでなく文字で残すことで多くの人に後世の人に知恵を伝えるすべを持ちました。ビジュアルメモリーは拡大し続けたのです。
ビジュアリーメモリーの獲得及び発達によって人類は情報というかけがえのない財産。それこそが繁栄の鍵となったのです。
言葉も文字も地図も手にいれてライバルでもあったネアンデルタール人も地上から姿を消した。あとは文化を発展させるだけ、そう思えたのですが、それが違ったのです。
実はここからが大変なのです。それは私たちの脳の中心を支配しているのは、爬虫類脳なのです。
では爬虫類脳とはいったい何なのか? 人間の脳の中でもっとも古い脳の部分で爬虫類脳といい本能、欲望をつかさどっている。
その爬虫類脳が発するジュラシックコード(爬虫類脳が発する暗号)の影響を受けつできました。いったい爬虫類脳は人類の歴史にどんな影響を及ぼしてきたのか。
それは、古代から大きな戦乱がつづいてまいりました。人々はおのれの欲望のぶつかり合いによって多くの血が流されたのです。
爬虫類脳のまま人間は混乱の世の中に暮らしていました。そして、人々の中に世俗の欲望を断ち切り、修行に専念するものが現れました。
彼らは困難を乗り越えていったのです。そして、爬虫類脳を抑える人間脳(大脳新皮質)を作り出したのです。
人間脳(理性)VS 爬虫類脳(本能) が作り出した物
こうして人類が爬虫類脳(本能と欲望の脳)を抑え込むために生み出したもの、それが自らを律する戒めでした。
人間の群れと破壊する欲望。それを抑える方法を知性は考え出してきた。それが、道徳、掟、法律、であったり人が人を監視する目や怖い話であったりするわけです。それを倫理、といってもいいし哲学、宗教といってもいいでしょう。
村や共同体の中で戒めは爬虫類脳を抑える大きな役割をはたしました。人間の力ではどうにもならない力を恐れる気持ち、それは誰の心にもあるものです。
悪いことをすると誰かが見ている「因果応報」、自分に必ず返ってくる。
人類は爬虫類脳を抑制するための方法として「戒め」を生み出したのです。
紀元前9世紀~6世紀にかけて世界各地で相次いで革新的なことが起こりました。
ギリシャにおけるソクラテス、プラトン、という哲学者がインドではブッダの登場、イスラエルの預言者の活躍、中国では孔子ら諸思想家の活躍、など時を同じくして、離れた地域で生まれた思想や哲学、これは歴史の必然性なのでしょうか?
人類は戒めを生み出したことによって、爬虫類脳を抑え、さらに人間らしい理性ある暮らしを手に入れていったのです。人間が作り出したもの、すなわち、文明、技術、経済など、ほとんどすべてのものは、人間脳に爬虫類脳が影響を及ぼしたことによって作られました。
爬虫類脳を抑えようとして、生み出されたのです。
人類は長い時間をかけ工夫に工夫を重ねて爬虫類脳を抑えるすべを手に入れました。
しかし、抑えすぎるとどうなるのか! あるものが生まれてしまうのです。爬虫類脳を抑えすぎると生まれるもの、それがストレスなのです。
抑えすぎると爬虫類脳と人間脳の間にはすさまじい摩擦が生じます。それが現代人を悩ましているストレスの正体なのです。
ストレスが溜まると脳は機能不全を起こし、さまざまな病気につながることもある。
我々、人間は体を動かすためには、脳がちゃんとしていないと動かない。
だから、体を動かすということは、脳の働きそのものなのです。キレて何かをするのも、たとえば人を刺したとする。それは、筋肉がキレたのではない、脳の抑制がキレたのである。
だから、キレるということは脳科学の分野ではかなり、はっきりわかっていて前頭葉機能が弱いということ。
人類の歴史は爬虫類脳を抑える工夫の歴史。
ジュラシックコード最大の指令、それは闘争本能!
この衝動をどうにかしなければ人間同士の争いが起きてしまう。
人類は闘争本能を抑えるための何かが必要!そして愛すべきこんなものを考え出したのです。そう、スポーツ。爬虫類脳を抑えるために人類が考え出したものはスポーツだったのです。
スポーツをすると戦いたいという人間の本能を発散することができる。それだけではなくスポーツをすると気持ち良くなる。
それは、ドーパミンが脳内で分泌されることが関わっていると考えられています。
「ドーパミン」脳内に分泌されるホルモンの一種。分泌される人は快楽を感じます。
分泌されるのは肉体が限界まで酷使された時である。肉体的つらさを脳が和らげようとするためなのです。
スポーツは肉体の限界まで挑戦するとしばしばドーパミンが発生する。マラソンランナーが感じるランナーズハイというのは、この状態である。スポーツは闘争せよというジュラシックコードを偽の闘争することでうまくかわし、快楽まで与える、すばらしい発明だったのです。
しかし、「偽の闘争」がエスカレートし真の闘争へと拡大してしまったこともありました。
人類は爬虫類脳をなだめすかすために、こんなすばらしいものを発明したのです。
人類が生み出した二つ目のものは音楽です。
古代ギリシャ人たちは肉体労働などのつらい仕事をする時によく音楽を聴いていたようです。愛するものの葬式のときにも音楽は欠かせないものでした。人々は音楽の力を信じ、どんなにつらいことがあっても音楽の力で立ち直り、がんばったことがギリシャの高度な文明を生み出す要因になったと言えると思います。
つらい時、音楽を聴いたり、絵画を見たり、芸術は爬虫類脳を抑えたことによって生まれたのです。ストレスを解消するために作られたのです。
それに古代ギリシャでは病気の患者をまず喜劇を見せて、笑わす、それで治らなかった人を治療することが多かった。
古代ギリシャ人たちは患者の病気が身体の状態に精神的なコンディションが影響していることを知っていたようです。
精神的にストレスがあると体調が悪くなることを見抜いていたようである。
笑いがストレスでがんじがらめになった脳をほぐす。人間だけがもつすばらしい機能だといえるかもしれません。
笑い、音楽、芸術、スポーツ、人前で何かを表現する文化は同じ理由によって生まれていました。
爬虫類脳を抑えつけたことで生まれるストレス発散。それは人間脳の働きを活性化させることは我々人間が本当に人間らしくあるために大きな意味を持っていたのです。
人類は文化を作り出して爬虫類脳をうまく抑えこんだように見えました。しかし、中世になると深刻な状況をむかえてしまうんです。人間は爬虫類脳を抑えすぎてしまったのです。
中世、それは人類が爬虫類脳を抑えることに最も成功した時代といえるでしょう。
人間の本能と欲望は過激なまでに抑えこまれました。一種の神様の世界、いろいろ毒があった、異端尋問とか当時の考えではベストだった。
実はこの時代、ストレスを発散し爬虫類脳を抑えるために人間が生み出した発明でさえ厳格な戒律の元に禁止されていた。
まさに爬虫類脳を抑えつけすぎた時代。それが中世!
芸術、知識は特権階級に独占されていました。爬虫類脳からのストレスが発散されなかったのです。そして、その反動として歴史的、出来事が起こることになるのです。
中世が終わりを告げたころ一枚の絵が売り出されました。それは、レオナルド・ダ・ヴィンチが書いたモナリザの微笑みです。
モナリザは、なぜ微笑んでいたのか? それは笑いを禁じた中世からの決別を意味していたのです。
15世紀末、イタリア、フィレンツェにあるサンタ・マリア・ヌウォーヴァ病院の地下で夜な夜な一人の男が死体と向き合っていました。
彼はいったい何をしていたのかというと何体もの死体を夜を徹して解剖し人間の内臓や骨格や筋肉などの詳細なスケッチをしていたのです。歴史に残る天才、そうあの人物です。
ルネサンスとは復興を意味します。
それは、ギリシャ時代に花開いた人類の偉大なる文化、文明を復興しようという機運が高まりました。
抑圧の中世とは対称的に人間のすばらしさ、本能を含めての運動だったのです。
そして、ルネサンスの最大の変化もダ・ヴィンチの中に見てとれる。それは、人間の解剖図!!
人間はどのようにできているのか? どんな仕組みでできているのか?
ダ・ヴィンチの解剖図には人間をありのままに追求するルネサンスの精神が象徴されているといっても過言ではありません。
それは、まさしく中世への抵抗でした。かくして、天才はあの作品を書き上げました。それがモナリザです。
中世の肖像画には決して見られなった笑いの表情が描かれている。
なぜ、モナリザは微笑んでいるんだろうか。それは永遠の謎と言われてきましたが中世への決別という意味があったのかもしれない。
人間が持つ本来の爬虫類脳の姿だと気づいていたかは、今となってはわかりません。
それから、科学の分野でもさまざまな発明が生まれました。羅針盤、火薬による鉄砲、コペルニクスの地動説、そして、ついに活版印刷の発明までも生み出しました。
それは、脳がメディアを獲得した瞬間でもありました。
情報は記録として、残りそれは複数にコピーされ、不特定多数の人々に運ばれていった。
言葉、文字、そして、印刷にまでいたる人間の偉大なる発明はまさにコンピューターがたどってきた進化の歴史、つまり、ネットワークの構築と膨大な情報を記録してくハードディスクの容量、拡大と同じ道をたどっているのです。
ルネサンスを経て人類の歴史は駆け足で進み始めました。そのスピードは大変なものです。
そして、あの大変革が始まりました。地上の景色を一変させたあの出来事。それは、木と石でできた建造物しか知らなかった人々が鉄鉱石と石炭から鉄を作ることを発明したのです。
産業革命です。1760年代、イギリスからこの波は広がっていきました。ルネサンスの自然科学の発達に技術的基礎が一変。小さな手工業が巨大な工場へと変貌していきました。
抑えていた自然科学が急速に発達していったのです。
そして、もう一つ世界を変える大発明がなされました。グーテン・ベルグの活版印刷です。
それまで、手書きの為、ごく少数の人にしか読まれることがなかった。それが、書物を大量に印刷して配る
ことが出来るようになったのです。
中世では特権階級だけが独占していた知性が開放されたのです。
ある時、顎が小さくなったことで言葉を手に入れた。言葉は人と人、その脳と脳をつなぐ情報伝達を可能にしました。
脳が言葉でネットワークを構築したのです。そして、人間は新しいビジュアルメモリーを獲得することで映像を記号化したり、言葉を文字に置き換えるようになりました。
口から発した言葉は瞬時に消えて、聞いていた相手の記憶にしか残りません。しかし、石に削り込まれた文字は何年、何千年の時を越えて残ります。
脳はその内部情報を記録して外部に残す手段を編み出したのです。
さらに、それは科学に出来ないことはないという科学万能時代をもたらしました。そんな中、爬虫類脳は動き出しました。
ジュラシックコードが発動されたのです。
人類の知性を生み出した科学!科学が人の生活を便利にするためにだけでなく戦いの道具としても使ってしまったのです。欲望のままに愚かな戦争を引き起こしたのです。それは、まさに知性への過信。
フリードリッヒ・ウィルヘルム・ニーチェ
「神は死んだ」19世紀が生んだ大哲学者、ニーチェの代表的なことばです。
そこには、どんな意味が込められていたのでしょう。「神は死んだ」ということばは挑発的ですが19世紀以降、現在までに至るまでの流れを端的に言い表している。
そして、近代資本主義経済が確立していったのです。産業革命は人間の高度な知性が達成した人類の躍進でした。
産業革命はかってないスピードで進歩、発展させていきました。過去、何千年の歴史を完全にりょうかしたのです。
このころ人類は歴史の道の上を羽振りよく景気よく歩いていたわけです。
人間に出来ないことはない、産業革命と科学の発達で怖いものはない。しかし、人間脳が生み出した産業革命に黒い影が忍び寄っていた。そう、爬虫類能が動き出したのです。
中世までは倫理、道徳、宗教といったものまで抑えられていた爬虫類脳はルネサンス時代から産業革命をへて、計り知れない力を手にし、暴走しようとしていました。
欲望のままに発明品を利用してしまった人類は欲望を満たすために脳をフル稼働させた。
それを先取りしていることばではないか。「神は死んだ」それは、知性を過信した人類を現しています。まさに知性の暴走、そして、人類は欲望を加速させていった。
人間が獲得した「火」、食を豊かにし、エネルギーを生み出す、この最大の道具も急速ないきよいで武器にもなってしまったのです。そして、愚かな戦争を巨大化していきました。
人間が手にした道具はさまざまな経済活動の役に立ち、人間を豊かにしていきました。
しかし、爬虫類脳に身をまかせすぎると深刻な環境悪化をも生み出してしまったのです。何かを手に入れると欲望のまま突き進んでしまう人類。はるかに限度を越えてしまう人類。それは、人類が生まれた時にあらかじめ決まっていたことなのかもしれない。
人類が脳を完成させた5万年前にプログラミングされていたことだったのかもしれない。
この仮説のかぎとなるのがビジュアルメモリーです。人類が手にしたビジュアルメモリーはこのように進化していきました。
壁に書いた壁画は、やがて言葉なりました。そして、芸術が生まれ、画像となり動く映像が生まれました。そして、ラジオ、テレビと巨大なメディアの誕生、一般の人が情報を共有する時代がおとずれたのです。
さらにコンピューターの発明は大変革をもたらせました。コンピューターネットワークの構築です。携帯電話を使いノートパソコンを持ち歩き、いつでもどこからでも世界中の知とつながる時代。情報は一方通行ではなくネットワークを生み出したのです。
この過程は生命誕生いらい発達してきた脳の伝達回路の進化と同じように思います。視床下部のゆっくりとしたホルモン系伝達。そして、神経の発達の末に獲得した秒速 120mという高速通信網。
最初はゆっくりとした情報の伝達。それは、やがて高速の大容量になり、ネットワークを作り出す。
脳の構造が人類の歴史を作り出してきた。脳が完成したとき人類の未来は決められていたのかもしれないのです。
スポーツも音楽も演劇もすべては人間の脳が爆発的に発達を遂げたように劇的に大きくなっていったのも人類の文化は急速に変化しました。拡大、拡大をつづけてきたのです。
この200年、人類の歴史は勢いをましました。すごいスピードです。かっての人類が1000年かかった変化を10年で経験しているとまで言われます。
そして、科学によって持てる力を増している人類。でも、爬虫類脳は入ったまま。
人間脳は爬虫類脳に振り回されているのです。だから、我々は日々、悩むし予想もつかない行動に出てしまうのです。
いったい、どうすればいいのでしょう。我々はこのまま、進んでいくのでしょうか?
地球とはまったく違う環境に出ることによって、人類が新たな進化をとげると言っている学者がいる。
例えば、人類が宇宙に進出し地球とまったく違う環境に何世代もわたって住み続けた場合、まったく違った種類の人類が生まれてくるでしょう。
爬虫類脳は生きていくための本能を司っています。
人類は爬虫類脳(本能、欲望)を抑えるために、さまざま努力を重ねてきました。しかし、こうは考えられないでしょうか。だからこそ、人類は発展してきたのです。
爬虫類脳の持つ本能こそが人類が文明を築いていく力だったのではないか。
人間の進化にとって爬虫類脳は極めて重要な役割を果たしていました。なぜなら、爬虫類脳を持った我々が何百万年も絶滅せずに生き残ってきたからです。
脳の奥底に爬虫類脳を持っていることも進化の上で間違いなく役立っているはずです。
体を作っていくときに古いものが先に出てきて、新しいものが後から出来てくるというルールがある。古いも脳の奥底に爬虫類脳を持っていることも進化の上で間違いなく役立っているはずです。
体を作っていくときに古いものが先に出てきて、新しいものが後から出来てくるというルールがある。
古いものを作らないと、その先、新しいものが作れない。
爬虫類脳(本能・欲望)がうまく正しくはたらくとき、我々は夢のある状態になるのです。つまり、モチベーションが高い、やる気のある状態は爬虫類脳が我々を活発に刺激してくれている状態。我々の脳の中にある強烈な情熱の源が爬虫類脳なのです。
だからこそ、正しく活用できれば夢に向かって進んでいけるのです。それに気づくこと、爬虫類脳との付き合い方を学ぶことがジュラシックコードの謎を解くこと。
ジュラシックコード、それは人間の脳の中で一番、古い爬虫類脳が出す指令!
時には暴れだし、間違った方向に突き進ませることもあります。しかし、生きるためには必要な生命のエネルギーでもあるのです。
自分の脳の中には、爬虫類時代からの脳が住んでいる。そう自覚し、爬虫類脳とじょうずに付き合っていくことこそが、今、私たちに求められています。未来を開くために!
(KOBIYAMA)
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2006年04月25日
BARでの対話
ある日の営業にて、お客様との会話の中でのこと。
「昨日、珍しく女性ばかりの団体がいたね。かわいい娘いた?」
「いやぁ~、○○さんの好みの方はいなかったんじゃないですかねぇ。」
ただそれだけの会話。
しかし会話は終わってしまう。
なぜ嘘がつけないのでしょう。
「素敵な方がいましたよ。」 これだけで酒の肴になるはずです。
常日頃から意識してはいるのですが、なかなか気の効いた台詞は出てこないものです。
以前、こんなことがありました。
ある常連の方がやってきました。
よく差し入れをしてくれる方で、その日は本を持ってきてくれました。
「この本知ってる?」
「あぁ、知ってますよ。このあいだ買いました。」
時すでに遅し。。。この方は私の為に買ってきてくれたのです。
最初から差し入れだとは言われなかったにしても、「知らない。」と言えば話は膨らみ、
持ってきた方も嬉く思うはず。
あぁ、いらんこと言ってしもうた。。。
それから約1年後くらい経った、ある日のこと。
先ほどの常連さん、今度は海外の土産を持ってきてくれました。
物はアメリカのカクテルブック。
丁度そのときは媚山マスターがいて、直接マスターにその本を渡した時の会話。
「マスター、先日NYに行ってたんですけど、この本をお土産に買ってきました。」
「うわ~、○○さん、ありがとう!これ、すごかねぇ~」
ここで私、やられたと思いました。
すでにその本、店の本棚に並んでおります。
その日から、2冊仲良く並んでおります。
何でも正直に!だけでは粋な世界はつくれません。
たまには良い嘘も必要です。
酒の席での対話は難しいと今だに思います。
対話は、相手との距離感を考え、言葉を心の量りのせることが大事。
とある本に書いてありました。
(KANKI)
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2006年03月26日
言挙げ
先日、新聞の余禄欄にあった話を紹介します。
山の神を退治しようと伊吹山に登ると大きな白い猪に出合うのは、ヤマトタケルの
話だ。ヤマトタケルは「この猪は神の使者だろう。今ではなく帰りに殺してやろう」と、
わざわざ口に出す。「古事記」はそれを「言挙げ」と記す。
実は白猪は神そのものの化身で、その怒りをかったヤマトタケルは大氷雨にあう。
おかげですっかり疲れ切り、やがて命を落とすことになるから口は災いの元である。
自分の意思を言い立てる「言挙げ」は、記紀の昔にはタブーであった。
一方「万葉集」の柿本人麻呂は、わが国は「神ながら言挙げせぬ国」だが、自分は
あえて旅立つ人の無事を言挙げすると歌っている。こちらは言葉にすればそれが現実
になるという願いをこめてのことだ。いずれの場合も「言」と「事」を表裏一体とみる言霊
信仰のあらわれという。
続きはWBCの話題となり、イチロー選手の発言、さらに「言霊の助くる国」の野球世界一
を現実にして欲しいと締め括ってある。(3月21日)
「言挙げ」について、思うところがありました。
普段、お客様との対話を重視する我々はまさにこのことは重要。
「口は災いの元」であり、「言霊信仰のあらわれ」でもあるのです。
場面を察知し、慎重に言葉を選び、対話していく・・・。
プロフェッショナルはそのような対話ができなければと思わされました。
ポジティブな発言は相手に対し、勇気を与えることもあれば、逆に不快感を
与えることもあるでしょう。
また、ネガティブな発言は相手に喪失感を与えることもありながら、逆に共感
を得ることもあるのではないでしょうか・・・。
時と場合に使い分けること、それが私共は必要とされます。
WBCの決勝戦はテレビで観戦しました。
チーム一丸となり、それを現実にした王ジャパン、感激しました。
チームベスパも頑張ろう。
(KANKI)
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言挙げ
先日、新聞の余禄欄にあった話を紹介します。
山の神を退治しようと伊吹山に登ると大きな白い猪に出合うのは、ヤマトタケルの
話だ。ヤマトタケルは「この猪は神の使者だろう。今ではなく帰りに殺してやろう」と、
わざわざ口に出す。「古事記」はそれを「言挙げ」と記す。
実は白猪は神そのものの化身で、その怒りをかったヤマトタケルは大氷雨にあう。
おかげですっかり疲れ切り、やがて命を落とすことになるから口は災いの元である。
自分の意思を言い立てる「言挙げ」は、記紀の昔にはタブーであった。
一方「万葉集」の柿本人麻呂は、わが国は「神ながら言挙げせぬ国」だが、自分は
あえて旅立つ人の無事を言挙げすると歌っている。こちらは言葉にすればそれが現実
になるという願いをこめてのことだ。いずれの場合も「言」と「事」を表裏一体とみる言霊
信仰のあらわれという。
続きはWBCの話題となり、イチロー選手の発言、さらに「言霊の助くる国」の野球世界一
を現実にして欲しいと締め括ってある。(3月21日)
「言挙げ」について、思うところがありました。
普段、お客様との対話を重視する我々はまさにこのことは重要。
「口は災いの元」であり、「言霊信仰のあらわれ」でもあるのです。
場面を察知し、慎重に言葉を選び、対話していく・・・。
プロフェッショナルはそのような対話ができなければと思わされました。
ポジティブな発言は相手に対し、勇気を与えることもあれば、逆に不快感を
与えることもあるでしょう。
また、ネガティブな発言は相手に喪失感を与えることもありながら、逆に共感
を得ることもあるのではないでしょうか・・・。
時と場合に使い分けること、それが私共は必要とされます。
WBCの決勝戦はテレビで観戦しました。
チーム一丸となり、それを現実にした王ジャパン、感激しました。
チームベスパも頑張ろう。
(KANKI)
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2006年03月23日
進路相談
先日、あるお客様が現役女子大生を連れ、来店してくれました。
相談に乗ってくれとのこと。。。えっ、僕が???
何のことやらでしたが・・・・進路相談!
話を聞くと、来年度は4年生。就職に対し、何をしたいのかが解らないとのことでした。
その気持ち、私はよく解りました。
自分にもそんな時期があったなと思い出しました。
バーテンダーを始める前、前職を辞め、将来について考えてるあの時期。
思い出しただけで嫌になります。
あの時期は本当に辛く、眠れない日が続いたなぁ。。。。
何故そんなに悩むのか?
それは、目的が見つからないから・・・・ではないでしょうか?
今、振り返るとそうなのでしょう。
自由な時代。ですが同時に選択肢が沢山ありすぎるのです。
可能性は無限だが、これだ!というものはなかなかないものです。
以前、媚山マスターが言ってました。
「俺たちの時代は、やることが何となく決まってた。気付くとバーテンダーをやってた」
意外な話でした。
夢を持ち、それに向かっていく人。
やっていくうちに、これだと感じた人。
それぞれなのでしょう。
ただ、決意を持った人は強い。
これは変わらないような気がします。
ある方から頂いた言葉。
意識が行動を促し、行動が結果を生む
決意ができれば、意識が芽生えるでしょう。
やっていくうちに決意ができた私は幸運だと感じます。
模索してる方々は沢山いると思いますが、必ず何かがあるはず。
彼女には色々とその様なことを話しました。
結果、前向きなコメントを残し、帰っていきました。
私自身も刺激を受けた対話でした。
(KANKI)
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進路相談
先日、あるお客様が現役女子大生を連れ、来店してくれました。
相談に乗ってくれとのこと。。。えっ、僕が???
何のことやらでしたが・・・・進路相談!
話を聞くと、来年度は4年生。就職に対し、何をしたいのかが解らないとのことでした。
その気持ち、私はよく解りました。
自分にもそんな時期があったなと思い出しました。
バーテンダーを始める前、前職を辞め、将来について考えてるあの時期。
思い出しただけで嫌になります。
あの時期は本当に辛く、眠れない日が続いたなぁ。。。。
何故そんなに悩むのか?
それは、目的が見つからないから・・・・ではないでしょうか?
今、振り返るとそうなのでしょう。
自由な時代。ですが同時に選択肢が沢山ありすぎるのです。
可能性は無限だが、これだ!というものはなかなかないものです。
以前、媚山マスターが言ってました。
「俺たちの時代は、やることが何となく決まってた。気付くとバーテンダーをやってた」
意外な話でした。
夢を持ち、それに向かっていく人。
やっていくうちに、これだと感じた人。
それぞれなのでしょう。
ただ、決意を持った人は強い。
これは変わらないような気がします。
ある方から頂いた言葉。
意識が行動を促し、行動が結果を生む
決意ができれば、意識が芽生えるでしょう。
やっていくうちに決意ができた私は幸運だと感じます。
模索してる方々は沢山いると思いますが、必ず何かがあるはず。
彼女には色々とその様なことを話しました。
結果、前向きなコメントを残し、帰っていきました。
私自身も刺激を受けた対話でした。
(KANKI)
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2006年03月11日
身内ネタ
本日3月11日は、BOOZE BAR 杉野公一の誕生日。
杉野さん、おめでとうございます。
熊本の皆さん、お祝いに行ってあげてくださいね。
媚山マスターがベスパの親父であるなら、杉野は長男というところ。
後輩たちの良き理解者であり、相談役です。
各スタッフが色々と話を聞いてもらってます。
私も何度も助けられたことがあります。
4つの地域で営業をしているなか、各スタッフなかなか顔を合わせることはないのですが、毎日の電話連絡は欠かすことありません。
付け加えると、皆話し好き。。。
お陰様で、毎月の電話代は結構なものです(笑)
先日もある助言を受けましたが、気遣いと言葉の選び方に、改めて感心させられました。
後輩への指導。なかなか上手くはいきません。
また、それぞれのスタッフの思いもあります。
仲間に対する細かな気遣いが大事になってきます。
思い悩むことも多々ありますが、それを乗り越え、また成長できるのでしょうね。
皆がいい関係を続けられることを願います。
(KANKI)
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2006年01月16日
自己啓発
先日、あるノートを読み返してみました。
新聞や本を読んで、共感したものを書き留めているものです。
なかなか自身を振り返ってみると面白いものです。
その時の置かれてる立場や環境、色々解ります。
字の書き方や、内容で、その当時のことが思い出されます。
やたらと自己啓発的なものばかりを書いてる時期がありました。
内容例として、
・私は仕事で疲れを感じた記憶がない。
しかし怠惰は完全に私を消耗させる。 (アーサー・コナンドイル)
・幸せな人間とは、ある環境に置かれた人間ではなく、
むしろ、ある心構え、ある姿勢を持った人間である。 (ヒュー・ダウンズ)
・頭を垂れてはなりません。頭はいつも高く、そして世界を
真っすぐに見るのです。 (ヘレン・ケラー)
・人生に幸せが欲しいと思うなら、もしあなたが虹を見たいと
思うなら、雨を我慢しなくては・・・。 (ドリー・パートン)
こんなことばかり書いてるのですが、その当時の状況としては、
熊本べスパ・BOOZE BAR・福岡べスパの3店舗でスタッフが4
人だったことを思い出しました。
ちょうど、現熊本店長の須郷・銀座店長の藤井が入る前でしたか・・・。
あの時のことを思い出して気分が悪くなりました(笑)
まだ現在も人材育成に苦労してますが、その当時に比べたら良くなってる
ほうでしょう。
今後も頑張らねば。。。 ですね、各店長方々。
(KANKI)
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2006年01月04日
媚山マスターより
例年各店舗に送られる、マスターよりのFaxを紹介します。
2006年、新年あけましておめでとうございます。
昨年は、無事故で一年を過ごすことができたことに厚くお礼を申し上げます。
本当に有難うございました。
ここ数年、プロフェッショナル、プロフェッショナルといってまいりましたが、私自身、プロフェッショナルとは何なのかという疑問にかられ、私なりにいろいろな角度から見つめ、調べてみました。
では、私たちが言っているプロフェッショナルとはスペシャリストのことを意味しているのではないか、そうなると言うまでもなく、スペシャリストとプロフェッショナルとでは似て非なるものではないだろうか。
そこで、一般的にプロフェッショナルとは、どのように考えられているのか考えてみた。
「専門的な知識や技術によって報酬を得ている人」
「果たすべき役割をまっとうできる能力を備えた人」
「自分の仕事に夢と誇りを持ち続け、不断に努力を重ねる人」
「平均以上の成果を上げられる人材」
これら以外にも「倫理観が高い」「揺るぎない自信に裏づけられている」「信念を貫く」など、いろいろありますが、総じて「高い専門性を備えている」「自立&自律している」「ハイ・パフォーマーである」といった見解が共通するところ、けっして間違いではないが、何か違うような気がする。
そこで、注目したのがプロフェッショナルの語源である。
プロフェッショナルの語源は‘profess’で「出る単」などでは「告白する」と書かれています。
これは「神に誓いを立てて、これを職とする」という意味の言葉です。
要するにプロフェッショナルとは職業の種類によって定義されるのではなくなっているということです。
プロフェッショナルの医師や弁護士もいれば、単に国家資格を持っているだけのアマチュアの医師や弁護士もいるのです。そして、このような有資格者の世界において、プロフェッショナルとアマチュアを分けるものこそ「顧客主義」ではないでしょうか。
プロフェッショナルの定義のほとんどは最も重要な「顧客」という存在をなおざりにしたまま、その知識や技能に焦点を当てているのです。
私が「何か違う」と感じた理由はここにあります。
そんな中、ハーバード・ビジネススクールのセオドア・レビット教授は「企業は商品やサービスを通して、あなたを100%満足させますという『誓約』を販売しており、顧客はこの『誓約』を購入している」と言っています。また、マッキン・アンド・カンパニーには‘Putting the client interest first’(顧客の利益を優先せよ)という価値観があり、ベテランであろうと新人であろうと、これを徹底させられています。
そこで注目されるのが「エンパワーメント」です。部下を育てるには、手取り足取り教えるよりも、むしろ「エンパワーメント」すなわち彼らや彼女らの権限を広げて、部下自身の力で解決させるのが良いと言われています。なるほど、部下の秘められた力を解放するには、口うるさくあれこれ指示するよりも彼ら彼女らの潜在能力を信じて、その自発性に委ねたほうが好結果が生まれてくるというわけです。
人は誰でも、他人の意思で動かされるよりも、自分の意思で行動することを好みますから、当然のことながら、やる気のほども違ってこようというものです。
しかし、エンパワーメントにまつわる議論を聞いていると、たいてい「顧客の都合」が抜け落ちています。
言い換えると、上司と部下の関係、あるいは会社とスタッフの関係だけで語られているのです。
エンパワーメントは確かに重要です。ですが、されるだけの覚悟を持っているかどうか、この点について、いま一度、自問自答してみて欲しいのです。新しい権限を武器に、顧客が抱えている問題を解決し、ユニークな価値観を提供できるのか。そのために必要な能力やスキルを学習することに貪欲かどうか。だれかの力を借りなければならない時、それが年下だったりあまり仲のよくない相手だったりする場合、自分の意地やプライドを捨てられるのかどうか。そこが大切になってきます。
ヒナは親鳥が餌を運んでくれるのを、巣の中で口を開けて待っています。でも、一人前になれば、自分で餌を捕りに行きます。あなたがプロフェッショナルを自負するならば、もう答えが出ているはずです。それは「半人前と一人前は何が違うのか」という問いへの答えでもあります。
プロフェッショナルは、己の技量を、けっして極端な話でなく一生かけて磨き続ける覚悟ができている人であり、それを愉しめる人でしょう。
そんな中、たいていの人が「自分の限界を自分で決めて」います。そして、そのほとんどがかなり前に設定されています。なぜなら、いままでの経験と相談するからです。これは楽チンです。
そのような人は現実的で小賢しい考えでしかなく、「できるわけがない」と思ったとたん、すぐに諦めてしまう。これこそ「知的怠慢」なのです。知的好奇心が中途半端な人、すなわち知的に怠惰な人は、ほぼ例外なく自己防衛で、変化に後ろ向きです。なぜなら、チャレンジ精神とまではいいませんが、新しいことへの興味に乏しいからです。常日頃から、目新しいこと、自分の知らないことを貪欲に吸収しようという姿勢が身についてませんから、いざという時、心理学でいわれる「ファイト・オア・フライト」(抵抗するか、逃げるか)になってしまう。
二十一世紀の経済社会は「見えない空間」との戦いです。見えている人や組織を動かすのではなく、見えていない経済社会を切り取って、そこに人や組織、場合によっては自社以外の人や組織、あるいは不特定多数を追い込んでいく作業です。
顧客といっても「触れる顧客」ではないかもしれません。いまの顧客も変質するかもしれません。いまの顧客は氷のように溶解してしまい、想像もしなかったような人々、不特定多数が顧客になるかもしれません。プロフェッショナルに要求される「顧客」への理解というのは、その理解なのです。
このためには、見えないものを見る力、想像力、分析する力、インテグレート(合成する)力、そして何よりも二十一世紀経済に対する正しい理解と洞察が必要です。
みなさん、プロフェッショナルを目指すには、さまざまな「重力」に逆らわなければなりません。
プロフェッショナルは感情をコントロールし、理性で行動する人です。専門性の高い知識とスキル、高い倫理観はもとより、例外なき顧客第一主義、あくなき好奇心と向上心、そして厳格な規律。これらをもれなく兼ね備えた人材を、私はプロフェッショナルと呼びたい。厳しいでしょうか?
今はあらゆる業界、あらゆる組織が過渡期にあります。言い換えれば、我々一人ひとりが、いろいろな環境にあっても逃げないで立ち向かう気概が必要なのです。
今年も始まったばかり、やり方によってはいくらでもプロフェッショナル・スキルは身につくものです。
チャレンジを始めてくみてださい。
Bar Vespa 媚山 達己
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2005年11月12日
Know yourself
己を知れ
1572年、徳川家康が三方ヶ原の戦いで武田信玄に惨敗し、
浜松城に逃げ帰ったとの話があります。その時に己の慢心を反省し、
絵師にその姿を描かせ、生涯の戒めにしたといいます。
映画「マトリックス」の中でも、Know yourself(己を知れ)という
フレーズが何度か出てきます。
自身を客観視し、判断することは非常に大事なことです。
私も勘違いすることが多々ありますが・・・・。
座右の銘にします。
(KANKI)
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2005年11月05日
謙虚
福岡店10周年を迎えるにあたり、ふと思い出したことがあります。
数年前、店が暇な時にマスターと雑談していた時。。。
バーテンダーにとって一番大事なことは何か?
こんな話になりました。
私の答えは、 「対応力」
お客様の好みに合うカクテルを提供する。
柔軟な応対、求められる雰囲気づくり、演出。
一言で言えば、この答えになりました。
マスターは私の答えを肯定しつつ、
「謙虚さ」と答えました。
そんな答えが出てくるのが意外だったのですが(笑)
納得させられました。
実際、その気持ちを持ち続けることは大変です。
私自身も、幾度となく調子にのり、失敗し、反省し・・・その繰り返しでした。
しかし以前に比べると、少しは成長できたかな?とも思えます。
また今後も繰り返していくのでしょう。
「謙虚さ」を忘れぬよう、日々成長していきたいものです。
(KANKI)
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2005年10月19日
守破離
剣道に「守破離」という言葉がある。
これは「守る」「破る」「離れる」という三つの要素で、剣道の
上達段階を示している。
まずは基本の型をしっかり守る。基本ができてから自分の
個性を軸にして、基本の型を少しずつ破る。
最後は完全に基本の型を離れて自分の型をつくる。
つまり、まずは基本をしっかり固めておかないと応用は
できないということだ。
以上の内容をある文献で読んだ時、まさに我々の世界にも通ずると
思いました。
職人は皆そうかもしれません・・・・。
段階をキチンと守らねば、技術は伝わらないと思います。
「守破離」を大事に!
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2005年10月13日
チャーリー・チャップリン
映画王・チャップリンに、こんなエピソードがある。
彼は晩年にいたるまで
「あなたの最高傑作は?」と問われると、
「ネクスト・ワン」
つまり次の作品と答えたという。
昨日までの作品で満足するのではなく、常に「これから」が
本格的な作品の創造であると彼は立ち向かった。
また彼は、例の有名な格好について次のようなことも言っている。
「小さな口髭は自分の虚栄心。
不格好なズボンと窮屈な上着は、
私たちの愚かしさと不器用さ。
同時に物質的な貧しさにあっても品位を保とうとする、
人間の必死のプライド。
それが私にひらめいた人間の個性だった。」
喜劇俳優というかたちで個性を表現したチャップリン。
物事を深く、またしっかりと捉えているところに感嘆する。
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2005年09月28日
know-who
先日、マスターより勧められ、ある本を読みました。
各店長は特に読んでくれとの事でしたが、内容として「コーチング」「ティーチング」。
スタッフの個性を考慮し、指導の仕方を改めて考えました。
また違う本ですが、Vespaのお客様が出した本に共感しました。
抜粋させて頂きます。
ノウハウからノウフーへ
know-how [名] ノウハウ、仕組み、仕事のやり方、実務知識、秘訣、こつ、専門的知識、技術情報
英語辞典で調べると上記のようにありました。
ノウハウ自体が既に、普通名詞となっています。
ビジネスをうまく導くために、必須な要件として、多くの成功者はノウハウを挙げ、巷には、ノウハウ本なるものが溢れてます。
ノウハウを自分一人で創り上げることはできません。誰かからヒントをもらったり、誰かから教えられたりと、必ず、誰かの影響を受けています。
また、いくらノウハウをもっているからといって、それだけで、ビジネスが生まれるわけではありません。
そのノウハウを管理する人、連携させる人、売る人によって、さらに大きな価値がもたらされます。
すなわち、ノウハウの前と後に不可欠なのが、人であり、人脈です。
いかに人脈を創り、またその人脈を活用し、仕事を円滑に進めていくか、また、そういった人をどれだけ知っているか・・・
know-who(ノウフー)、これは、全くの和製英語ですが、ビジネスを成功させる為にノウハウと同じ位重要な要因です。
いろいろな社会のルールが変わり、生活が多様化し、そして技術が大きく進化するといった変化の激しい基盤に乗ってるが故に、ノウフーは、さらに注目される技術になっていくと思います。
know- who[名] ノウフー、人脈、人脈の活用、人間関係、人間的魅力、感謝、必須技術、思いやり
こんな内容が、英語辞典に掲載される日も近いかもしれません。
以上ですが、感銘を受けました。
いつも思うことですが、お客様との対話で感じるのは、「仕事とは、どれも同じ」ということ。
バーテンダーである我々も、根本は同じなのです。
人のことを、よく知りたいと思います。
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2005年09月25日
あるトップセールスマンの「殺し文句」
サービスに携わっている人も日常の生活の中では利用者であり購買者であり消費者になります。つまり「お客様」として様々な場面に遭遇しているわけです。
メルセデスベンツのトップセールスマンがいました。
彼は文字どうり「自分自身がお客様になって考え感じる」ことを実践しているそうです。
愛車はメルセデスの最高級車。自分が販売しようとする車を自ら使っているのです。お客様に対して性能の高さや装備の豊富さといったハード面の話は一切しません。彼が常に語るのは、メルセデスのオーナーが感じる気持ちの豊かさや、メルセデスがある生活の素晴らしさです。
我々も、メルセデスをバーに置き換え、お酒のある生活の楽しさを伝え、「お客様の立場になって考える」よりも「お客様になって考える」。その意識変革が大切になってきていると思います。
2005年09月07日
会話術
日本語の「聞く」という言葉の中には、質問するという意味も含まれる。
英語だと“ask”と“hear”は別だが、日本語は同じである。
質問はこの次にどんな質問をしたら、この人は機嫌よく答えてくれるだろうかという思いやりである。
時には罪をなじるような厳しいものもあるが、大切なのは相手が心を閉じるような質問をしてはならないということだ。
話し上手は聞き上手というが、本当は質問上手ということなのかもしれない。
質問が下手だと、相手がいわゆる“のって”こないのである。
また、あいさつも大事である。
お客様が入店し、最初の声の掛け方で第一印象が決まる。
あいさつの“挨”は「開く」、“拶”は「迫る」という意味がある。
心を開いて相手に迫って行くのが、あいさつである。
お帰りの際も感謝の気持ちを込めて、声を掛ける。
当たり前のことを大事にしよう。
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2005年09月04日
Passion
「情熱」を英語では「パッション(Passion)」という。
これには「受難」と「殉教」という意味もある。
どんな苦難にぶつかっても、自分の定めた道を歩み抜く信念こそが、実は「情熱」なのである。
そして「パッション」には「コンパッション(Compassion)」という派生語がある。
「共感」と「思いやり」を意味する言葉だ。
苦難を味わい、乗り越えてこそ相手を思う豊かな心も育っていく。
仕事をしていくうえで、辛いことは必ずあると思います。
真剣であればこそ、仲間に腹が立つこともあると思います。
そのような状況も乗り越え、皆が笑えるようありたいです。
最近まで我々は、「厳格な指導」を心がけていました。
職人の世界ですから当たり前のことでした。
しかし“厳格”にとらわれ過ぎていた面もあり、若手が育たぬ環境があった時期もありました。
指導する立場のスタッフには
「人を育てるという意識ではなく、活かす努力をしていこう」
と、呼びかけています。
技術を伝える・教わるには厳しい指導は必要ですが、お互いが相手の立場を考慮し、気遣ってあげることも大事なことです。
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2005年09月01日
極道に・・
以前、常連のお坊さんにあることを言われました。
「極道になりなさい」
????意味が解りません。私はバーテンダーですが。。。
ようは、“道を極める”だったのです。
マスターも交え、師弟関係や職人としてについて対話してました。
また、
「弟子の準備が整えば、良い師匠が現れる」
とも言われました。
私はその時、本当に意味が解りませんでした。しかし理解してるふりをして、
「名言ですねぇ~」などと調子の良いことを言いながらメモをとりました。
その時思ったのは、自分はいい師匠がいるけど、“準備がが整えば”が理解できなかったのです。
それから数年後、何気なく自分のメモ帳を読み返していた時のこと。
ポツンと一行で書かれたその言葉に驚きました。
『弟子の準備(レベルアップ)が整えば、良い師匠が現れる』だったのです。
目の前にいる素晴しい師匠も、弟子のレベルが低ければ意味がないということなのです。
教える側より、教わる側の姿勢が大事なのです。
改めて気付かされたことに驚きでした。
“道を極める”為に、このことを忘れぬようにありたいです。
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2005年08月28日
鍛錬
人の“3倍の努力で一人前。10倍の精進で一流”
さまざまな分野で輝かしい実績を残した人、活躍する人。そうした華々しい“果”の姿は、誰の目にも映る。しかしその“因”には、なかなか目が届かない。
イタリア・ルネサンス期の巨人、レオナルド・ダ・ヴィンチ。画家、建築家、彫刻家、そして詩人、思想家としても傑出した人物だった。天才という言葉をほしいままにしたようなレオナルドの生涯。その陰に、一つのことに全力で取り組む“努力の天才”としての生き方があった。
走る馬の4本の脚の動きを正確に描いた最初の画家といわれるレオナルド。彼が動くものをとらえる目の能力を訓練するためにしたこと。それは、橋の上からさまざまな形の紙切れを落として、その形や運動を徹底的にスケッチしたことだという。
眼前の課題を時には気が遠くなるまで持続する力。その堅忍不抜の意志と行動こそが、一切の勝敗を分けるといっても過言ではない。反対に、早々と自らの限界を認めてしまえば、一切の可能性を閉ざしてしまう。
日々の鍛錬を怠らず、一流を目指していきたい。
2005年08月16日
基本(ベーシック)
世界的に業績をあげ、その道で頂上を極めた多くの人々が「お前はだめだ」とか
「お前は才能がない」とか「やめたほうがいい」と言われた時代があった。
しかし彼らは、どんなひどいことを言われてもやめなかった。
苦しみながらも、前に向かって歩き続け、そして成功した。
もし彼らが、その言葉を真に受け、そこでやめたら輝かしい栄光はなかった。
たとえその道でどんな優れた人でも、他人の将来の可能性を見抜ける人はいない。
だから誰に何と言われようと、自分の信じた道を全力で前進しなければならない。
この中に大きく関っているのがベーシックなのである。
今現在、多くの分野にインターネットが進出している。
これは経済性を考えた、売り手と便利さを求める消費者の要求が一致しての普及と思っていた。
ところが、なるべく口を利かないで物を買いたいと思う「無言消費派」の増加も、その背景にあるという。
『生活新聞』(博報堂発行)の調査では「無言消費派」が56・3% 店員と話しながら買う「有言消費派」が43・6% この傾向には、わずらわしい人間関係を避けたいという自閉的な現代社会の反映があるようだ。確かに人と触れ合わなければわずらわしさはなく、ストレスも残らない。だがそれでは自己を見つめ、自身を成長させる機会を失う、との指摘を忘れてはなるまい。
話すことは、取りも直さず自己の内面を明らかにすることである。
相手という鏡に自己の内面がどう映るか?
それを常に見つめることは、自身を向上させることにもつながっていく。
『言葉は心の発露である・・・みずみずしい「言の葉」は、生活に、また社会に豊かな潤いを添える』とのスピーチがある。
一人一人が相手の心を温かく包み込む言葉づかい、気配りを示しゆく・・・そんな心豊かな対話に、目を向けるべきだろう。
そのためにも、人間関係を潤滑にする手段の一つである、他者への上手なストロークス(心地よい言葉)を心がけたい。
相手の気持ちを感じとり、褒め讃えるさりげないひとこと。
これを取り戻すことが潤いの社会を作る王道ではあるまいか。
あくまでハードだけでのベーシックでもダメ。
ソフトとハードがバランスよくベーシックであって、まっすぐに進む。
ヨーロッパのことわざに「ゆっくり急げ」という言葉がある。なんとまあ矛盾する言葉であろうか。
しかし味わいがある。
ゆっくりだけでもなければ、急ぐだけでもない。その両面の要素が必要だということだろう。
まず目的・目標をしっかりと確認する。それでいて焦らない。
これが「ゆっくり急げ」のポイントか。
中国の孫子の『兵法』に、「兵の形は水に象る(かたどる)」ということばがある。
水や酒には一定の形がない。しかしそれらが容器の形によって、自由に変化するのと同じように、戦においても先方の出方や状況に応じ、戦法を変えなければならない。
「臨機応変」とはこのことである。
事と次第にもよるが、定見がないのも困るし、一つの事にこだわり過ぎるのもいただけない。
時にゆっくり急いだり、水に象ったりする柔軟な生き方が大切になってくる。
そのような応用編も、基本(ベーシック)を学んだかというところに行き着く。
以上が2001年、新しい世紀の始まりに、マスターよりスタッフに配られたメッセージです。
今いちど基本に戻り、先々に向かっていく準備をしていきたい。
京都店より
8月16日は五山送り火がありました。
その様子です。
京阪電車・出町柳駅付近から見た様子です。
写真で見るより実際は充分な迫力です。

昔は五山すべてが、どこからでも観ることができたのでしょうが、今はそのようなスポットは
京都タワーか駅隣接のホテル・グランビアの回転レストランくらいだそうです。
2005年08月10日
Barは5時から・・・。
Barは5時から・・・。
我々はこの事にこだわってます。
今現在4つの地域で営業してますが、全ての店舗が5時オープンです。
地域性というものもありますが、関係なく5時です。
今現在、日本のBarでは開店時間が店によってバラバラです。
店の主人の考え、もしくは周りの店の状況やお客様の流れる時間帯によって決められているといってよいのではないでしょうか?・・・全国統一ではないのです。
世界ではどうでしょう?
世界の名だたる都市のBarは5時にはほとんどの店が開いている。
何故でしょう?
大きな違いは食文化の中にあるドリンクの存在ではないでしょうか?
バーテンダーは食前酒(アペリティフ)の勉強をします。
しかし店が提供できる時間に開いてないのは意味がありません。
また、仕事の嫌な出来事を家に持ち帰らず、グラスの中に捨てて帰ってはどうでしょう?
そのような動機で利用するのもBarの一面でもあります。
「アフターファイブ」という言葉がありますが、その時間にお客様が、店で過ごす事ができないというのは残念なことです。
5時に店の扉を開け、お客様の来店を待つという姿勢をつくる。
この事が大事と考えます。
確かに、5時すぐに飲みに行ける方は少ないでしょう。
しかしBar Vespaには、待ち合わせや食前酒を飲みに来る方がいます。
上手に店を使ってるなと関心します。
食事処で待ち合わせをする方が多いと思いますが、先に店に着いたら間が持ちません。
慣れた方同士ならともかく、特に男女であればそれは避けるべきです。
よく食前酒を飲みに来る方の中に、今日の食事のジャンルを伝えて、それに合わせたカクテルをお任せでオーダーする方がいます。バーテンダーとして、創作意欲も沸くものです。
本来、Barがその社会や地域でどのような役割を果たさなければならないか・・・、
そう考えると勝手に開店時間を設定すると意味が違ってくるのではないでしょうか。
Barが昼と夜の世界を繋ぐ為の役割を担っているといっても過言ではないでしょう。
バーテンダーは、美味しいドリンク・時間・空間などをお客様に提供するという大事な仕事があると同時に、使命も持っているのではないでしょうか?
そこで我々のモットー、
Barは5時から
いくつものドラマがはじまるバーの扉は午後5時に開きます。
全国で5時から開店しているBarの方々をここで募り、21世紀のBarとして使命と役割を考えてみようと思っております。
ご意見を戴ければ有り難いと思います。
Barは5時から・・・・。我々はずっとこだわっていきます。

夏の涼しいカクテル・・・・、いかがでしょう。